休眠・既存の医療法人買収による開業という選択肢|メリットと税務上の注意点

医師の開業には多様な選択肢があります。新規開業や個人クリニックでの開業が一般的ですが、近年は休眠状態や既存の医療法人を買収して開業するという方法も注目されています。これらの選択肢を検討する際は、税務上のメリットだけでなく、社会保険料や開業後の収益推移、法的なリスクなど多角的な視点から検討することが重要です。
個人事業主と医療法人化の比較
開業を検討する医師にとって最初の検討ポイントとして、個人事業主として開業するか、医療法人として開業するかということが挙げられます。この選択は、単に税務上の有利不利だけでなく、社会保険料の負担や将来の事業展開にも影響します。
税率の基本的な違い
個人事業主として開業する場合は所得税がかかります。これは累進課税制度により所得が増加するほど税率が高くなります。所得税の最高税率は45%(課税所得4,000万円超)で、住民税を合わせると実質的な税負担は55%にも達します。
一方、医療法人には法人税がかかります。出資金1億円以下の法人の場合、課税所得800万円以下の部分は15%、800万円超の部分は23.2%の税率となります。法人住民税や法人事業税には、法人税額や課税所得金額に応じて税率が増加する部分があるため、実効税率は緩やかに上昇してしまいますが、約30~35%となることが多く、所得税のそれと比べると低率に抑えられます。
課税所得2,000万円付近が境界線
ただし、税務上の有利性だけで判断するのは早計です。社会保険料の影響も考慮する必要があります。
医師国保は医師会に所属している個人事業主の医師のみが加入可能で、医療法人化すると加入資格を失います。東京都医師国民健康保険組合の例では、医師(第1種組合員)の保険料は月額45,500円と定額制になっています(第1種組合員、40~64歳の場合)。この定額制の特徴により、高収入の医師ほど保険料負担が相対的に軽くなります。
医師国保の保険料優遇効果を考慮すると、課税所得2,000万円程度が個人事業主と医療法人のどちらが有利かの境目となる可能性があります。個別のケースごとにシミュレーションを行い、税負担と社会保険料負担の総額で比較検討することが重要です。
開業後の収益推移
開業初年度の厳しい現実
開業1年目は設備投資も多額となり、集患に苦戦することがほとんどです。地域への認知を広げなければいけない時期となります。赤字となることがしばしばあります。
2年目以降の安定化
2年目は薄利ながらも黒字転換することが多く、3年目以降で本格的に軌道に乗るというのが一般的なパターンです。3年目に課税所得2,000万円を超えてきて、医療法人化のメリットを考え始める、というようなケースを多く見かけます。
医療法人設立認可のタイミングと要件
医療法人の設立には厳格な要件とタイミングの制約があります。医療法人の設立認可申請は年2回程度の受付期間が設定されており、東京都の例では第1回が8月下旬の申請受付で翌年2月下旬の認可、第2回が3月中旬の申請受付で8月下旬の認可となっています。
医療法人設立には人的要件(社員3名以上、理事3名以上、監事1名以上)、施設・設備要件(1ヶ所以上の医療施設の設置、必要な設備・器具の確保)、資産要件(設立後2ヶ月分の運転資金の現預金での確保)等を満たす必要があります。
申請には仮申請と本申請があり、医務課での審査、医療審議会での審議を経て認可が決定されます。このプロセスには数ヶ月を要するため、計画的な準備が必要となります。
このような医療法人設立のハードルの高さも、個人事業主としてまずは開業することが多いことの背景として考えられます。
医療法人買収による承継開業のメリット
医療法人を買収して、いわゆる「承継開業」をしてしまうのであれば、医療法人設立に関するハードルの高さは関係なくなります。
また、課税所得の少ないうちは税務上やや不利になりますが、医療法人の買収による承継開業にはメリットも考えられます。
顧客基盤と収益の早期立ち上がり
既存の医療法人を買収する場合、すでに確立された患者基盤を引き継げるため、開業当初から安定した売上を見込めます。地域での認知度や医療機関との連携関係も継承できるため、短期間での収益安定化の可能性があります。
設備投資の軽減
新規開業では多額の設備投資が必要ですが、既存法人の買収では既存設備を活用できるため、初期投資を削減できます。
このようなメリットを踏まえると、開業1年目の凹みを最小化して、医療法人化によるメリットを享受できるようになるところまで短期間で至れる可能性もあるため、税率によるデメリットを多少覚悟の上、医療法人を承継開業するというビジネスジャッジも十分にあり得るところです。
買収時のリスクと注意点
包括承継によるリスク
医療法人の買収には重大なリスクも伴います。医療法人の買収では、対象法人のすべての資産と負債を承継することになります。簿外債務や潜在的な法的リスクも含めてすべてを引き継ぐため、事前の詳細な調査が不可欠です。
買収前には財務、税務、法務、事業の各分野にわたる包括的なデュー・デリジェンス(買収監査)を実施する必要があります。
過去数年間の財務諸表の分析、資産の実在性・評価の適切性、負債の網羅性確認等を行います。税務面では税務申告の適正性、未払税金の有無の確認が必要です。法務面では契約書の確認、コンプライアンス状況、訴訟リスクの評価を行います。
休眠医療法人買収の特別なリスク
休眠状態の医療法人格の買収については、厚生労働省から設立認可取消しへの対応強化が通達されており、正当な理由なく1年以上医療施設を開設しない場合は認可取消しの対象となる可能性があります。また、休眠中の決算届出や登記手続きの怠りがある場合、法的な問題を抱えるリスクもあります。
取引条件の検討事項
医療法人買収では、単純な持分譲渡だけでなく、様々な条件を検討する必要があります。
従業員雇用の処理
医療法人格は同一であるため、従業員がいる場合は継続雇用が原則となります。給与水準や労働条件の変更には従業員の同意が必要で、慎重な対応が求められます。
対価の支払方法
買収対価の支払いについては、持分対価と退職金のバランスを検討する必要があります。税務上の取扱いが異なるため、売主・買主双方にとって最適な構成を検討することが重要となります。
前理事長への退職給与の支給については、過大なものは損金不算入となってしまいますが、数年が経過した後の税務調査等で指摘される可能性も視野に入れつつ、取引条件等を精査していくことが必要となります。
まとめ
開業方法の選択は、医師のキャリアと経営の成功を左右する重要な決断です。個人事業主か医療法人かの選択では、税率だけでなく医師国保への加入可能性を含めた総合的な検討が必要で、課税所得2,000万円程度が一つの判断基準となります。
医療法人買収による承継開業は、初期投資の軽減や顧客基盤の継承というメリットがある一方で、包括承継によるリスクも大きいため、専門家による徹底したデュー・デリジェンスが不可欠です。特に休眠医療法人の買収については、法的リスクが高いため慎重な検討が必要です。
開業後の経営安定化には通常1~3年を要するため、どの方法を選択するにしても十分な資金計画と事業計画の策定が重要です。
開業方法や医療法人化についてご不明な点がございましたら、西原会計事務所までお気軽にお問い合わせください。医療業界に精通した専門スタッフが、先生方の状況に応じた最適な開業プランをご提案いたします。